global options market >>日本の市場

日本の市場

日本では7世紀には、飛鳥の海石榴市(つばいち)や軽市、河内の餌香市(えがのいち)や阿斗桑市(あとのくわのいち)などに一種の統制市場があったことが『日本書紀』の記述からわかる。また、『風土記』からは、常陸国高浜や出雲国促戸渡のような漁民や農民が往来する場所や交通の要所で貨幣発行以前から市が成立していたことがわかる。

古代国家においては、中国の制度を参考にしつつ、大宝律令の関市令によって市制を整備した。都の東西に市が設置されて市司という監督官庁が置かれ、藤原京・平城京・難波京・長岡京・平安京などに官営の東西市が運営されていた。この統制市場は正午に開き、日没に閉じ、品物の価格は市司が決定した。また商業施設としての機能だけではなく、功のある者を表彰したり、罪を犯した者を公開で罰する場所としても使用された。

当初は官庁の指定した特定区域以外での商業は禁じられていたが、律令制の弛緩とともに交通の要所など人が集まる場所には月の決まった日に市が立つ定期市が形成されるようになった。近畿地方を中心として荘園では地方市場が生まれ、行商人が活動した。市の立つ日(市日)としては「八の日」が多く、「三斎市」(さんさいいち)が多い。市日が「八の日」であれば、8・18・28日に市が立つ。市を開く時間(開市)は、「朝市」、「夕市」は朝から夕方までである。夜店は夜見世・夜市・夕市などと書かれた。15-6世紀には、月6回の「六斎市」が生まれる。

官製の東西市は律令国家とともに衰退し、都市には定住の市人の中から卸売商を行なう者が現われ、問屋集合による卸売市場が生まれる。これは座を形成したが、16世紀以降の楽市・楽座によって座は解体され、城下町の中央市場と、各地の住民のための在郷市場町における小売市場に分かれてゆく。中央市場に問屋が集まる一方、小売市場では、振売り、野市、出売り、立売りなどが見られた。近世においては問屋商人による卸売市場が栄え、特に領主に後押しされた御用市場において排他的独占が生じた。これにより在方や町方の市場は禁圧を受ける一方、御用市場のための納付(納魚、納菜)は仲買や一般の買手である住民の負担となった。